安心安全を支えるダイニチ工業の生産体制

100万台すべて、一台一台ごとに安全と安心を作りこむ

できない理由を考えるより、実現のための試行錯誤を

一般的に暖房機器や加湿器は季節商品として期間を限定して生産されますが、ダイニチ工業では1年を通して石油ファンヒーターと加湿器を生産しています。想定外の気象変動や感染症の流行などにより、企業が消費を予測して立てた供給曲線と実際の需要曲線が一致することはまれです。一方で、お客様をお待たせしてはならないため、在庫を増やすだけでは、リスクとコストがかかります。

そこで、我々は必要な時に必要な量を生産できるシステムを、創立の地、新潟で作り上げました。いやそれは 100%新潟生産だからこそ、かなえられたことかもしれません。すべてはお客様の快適な暮らしのため、安心安全な暮らしのため。ダイニチ工業は生産体制の改善に努め、常に一歩先を見据えて歩み続けていきます。

4時間で製品を完成させる独自システムを構築

業務用石油ストーブを生産していたダイニチ工業が石油ファンヒーターを初めて販売したのは 1980年。すでに多くの大手電機メーカーが手掛けている中への参入で、「着火が早い」「ニオイが少ない」と消費者から高評価をいただき、売り上げは順調に伸びていました。その後、各社の競争が激しくなったことや暖冬傾向が続いたことなどにより販売実績は伸び悩み、1998年には創立以来初めての赤字決算、その翌年も赤字決算と苦境に立たされました。2期続けて赤字決算。その時、社長(現会長)が2つの大きな決断をしました。

「シェアトップを目指して生産台数を100万台に拡大。コストも品質も断トツを目指す。」
「代理店を通さず販売店と取引を行う直販へシフトする。」
さらに、具体的な方針として、「お客様の注文を1台の取りこぼしもなく生産して供給する。」
「10,000 円以下で販売できる製品を生産する。」ことが打ち出されました。

つまり、生産台数を増やしシェア拡大を狙い、そして、お客様との物理的かつ時間的な距離を縮めて、コストダウンと商品提供のスピードアップを目指すものでした。
これらの実現のため、生産現場の改善をスタートしました。

まず、季節商品ながら通年雇用の正社員による通年生産に切替え、基本的な生産能力の安定を図りました。
続いて、受注から4時間で製品を完成させる「ハイドーゾ(はい、どうぞ)生産方式」構築に取り組みました。実現に向けてのハードルは決して低くはありませんでした。受注から出荷までの販売情報や生産計画と実績の情報共有に取り組み、社内だけではなく、部品の仕入先である社外の協力工場との連携も行いました。また、ラインの自動化や効率化、生産スタッフの技術向上、そして何より一人一人の意識改革。社長(現会長)の決断を現実のものとするためにはそれらすべてが必要でした。

工場を“工夫する場所”と位置づけ、知恵と経験をもとに改善を繰り返し、やがて、石油ファンヒーターでは1日で最大7,000台の生産を可能にしました。

改善を積み上げ、安心安全な製品を臨機応変に作り上げる

ダイニチ工業を販売数で業界トップに押し上げた「ハイドーゾ生産方式」は、画期的な工法ではなく、細部に渡る改善を積み重ねて確立した、いわばダイニチイズムの集大成です。
もちろん、単純な繰り返し作業や困難作業等でのロボット導入、自動化などは行いましたが、生産の重要な工程を担うのは人間の目であり人間の手です。効率化を支えるのは最後は人間の力です。

ダイニチ工業の石油ファンヒーターは、各タイプにサイズや色違いもあるので約140種類にのぼります。それらを臨機応変に生産するには、140本のラインを作るより、ラインの一部の装置や金型を人が交換する方が効率的で低コストです。生産する機種を替える際の効率的な工程を考案し、作業をくりかえし行う中で改善を加えることで、当初90分かかっていた段取り作業時間を10分以内に短縮することができました。
単なる自動化だけではなく、人間の力で臨機応変かつスピーディな生産体制を可能にしたのです。

また、製品の安全性を担保するため、石油ファンヒーターの組立後には、必ず、すべての製品に対して灯油を入れて実際に運転させて、動作検査と燃焼検査を行います。1分1秒を争う中でも、ここだけは譲らず、時間と手間をかけて、人間の手と目で確かめてから出荷しています。
工場内の壁や階段には「つくり方の固定観念を捨てよ」「改善は無限である」など、改善の基本精神十箇条の他、仕事を行う上での基本事項や心構えを掲げ、意識の徹底を図っています。

協力企業工場と連携し、メイドイン新潟にこだわる

生産体制の改善は情報の分野にも及びました。
部品や製品の品質情報、生産計画や実績の情報や在庫情報などが集約できないか。生産設備とコンピュータを結び、リアルタイムで情報を入手できないか。IoTという言葉がまだなかった 1990年代に、ダイニチ工業では独自にプログラムを構築し、生産情報の可視化に取り組みました。

同時に、協力工場約20社に、生産情報の共有とインターネットでの受発注ができるようにコンピュータ講習を行いました。必要な時にすぐに生産に取り掛かるには、素材メーカーや部品メーカーなど協力企業会社と同じスピード感での連携が必須です。しかし、当時はインターネットが一般化しておらず、理解してもらうには時間がかかりました。携帯電話や PC で素早くレスポンスが返ってくるようになるまで、1年をかけて浸透させていきました。

強固なパートナーシップで共存共栄

石油ファンヒーターを生産する。そこには、ダイニチ工業だけではなく多くの企業が関係しています。部品や原材料を供給してくれる企業に対して、私たちは下請けという言葉は使いません。特に密接な取引関係がある企業を協力工場と呼び、事業を一緒に行っていくパートナーとして対等に取引を行っています。
これはダイニチ工業のポリシーであります。ダイニチ工業の創立時に様々な人から支援を受けて事業を立ち上げた原体験に由来します。このことは現在まで受け継がれ、自社の利益だけを考えるのではなく、協力工場のことも考えた事業展開を行っています。

通年生産も協力工場のことを考えての施策でした。一年間通して仕事があることで、協力工場の経営の安定につながる。社長(現会長)がそのように考えたことが発端です。
協力工場とともに発展するため様々の支援を行っています。
先ほどのコンピュータ講習の他にも、事業運営を効率的かつ効果的に行うための様々の改善の方法、人材育成の教育を繰り返し実施しています。

また、メーカーにとってはコストの低減は重要な要素ですが、これを協力工場にただ単に要請したり、安価な仕入先に切り替えたりする調達購買にすれば直ぐに効果は出るものの、それでは、協力工場に負担を課すだけになってしまいます。ダイニチ工業ではコスト低減の方法を協力工場とともに考え、助言し、人的支援を行いながら目標値に近づける育成購買に努めています。コスト低減の実現には時間がかかりますが、長期的に見れば局所的な改善効果にとどまらずより大きな視点での進歩につながると考えています。

毎年6月には、従業員とその家族、そして協力会社の従業員など、合わせて約1,000名が一堂に会する運動会を開催しています。30年以上続いている一大行事です。これだけの人々がモノづくりに関わっているからこそ、新潟から全国に製品を送り出せるのだと実感できる一日です。そして、ダイニチ工業は、これだけの雇用を担っているのだと、気持ちを新たにする一日でもあります。

お客様の笑顔のため改善に挑み続ける

ダイニチ工業は、製品の企画から開発・設計・金型・プレス・塗装・組立・検査までのすべてを自社工場で行い、あらゆるシーンで改善に取り組み、効率化を推進しています。石油ファンヒーターの年間生産台数100万台到達への過程で、ノウハウが蓄積され、スケールメリットも生まれてきました。高品質な製品を低コストで、バラエティ豊かな製品をいち早く、お客様にお届けし、安全に安心してご使用いただくためにこれからも改善に取り組んでまいります。

また、市場を取り巻く環境は厳しさを増し、生産の現場にもその影響が及んでいます。人手不足を背景とした自動化による少人化の推進はその最たる例ですが、これを支えるのは人間の力です。今後もさらに人材教育・人材の育成に注力してまいります。
石油ファンヒーターでは年間150万台生産を視野に、加湿器では日本国内生産メーカーとしての責任と誇りを胸に、歩み続けます。
改善は無限、我々にできないことはないと信じています。

お客様の快適で安全安心な暮らしのために努力を続ける

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