ダイニチの歴史

1957年(昭和32年) 創業者・佐々木文雄が、新潟県三条市に東陽技研工業株式会社(ダイニチ工業の前身)を創立。石油コンロ、石油ストーブなどを製造販売。

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比較的裕福な家庭で使われていた加圧式ストーブは、昭和30年代に普及しました。

加圧式コンロは都市部などで大正時代から使われていました。
しかし、昭和30年頃まで、日本の多くの家庭では薪やコークス、木炭などを燃料にかまどで炊事するのが一般的でした。
かまどのように灰を処理する必要がなく、持ち運んで使える便利さもあって昭和30年代に普及しました。
当時としてはハイテク製品で、普及当初は多くの主婦の夢だったとも言われています。

プロパンガスの普及や操作が簡単なストーブの登場により、加圧式コンロや加圧式ストーブの時代は幕を閉じました。
しかし、加圧式燃焼の青く燃える美しい炎に魅せられていた佐々木には、ある熱い思いがありました。

“加圧式燃焼を改良し、より良い燃焼器を開発したい。”

1964年4月(昭和39年) 創業者・佐々木文雄が、石油バーナー、石油ふろ釜を製造販売するメーカーとして、新潟県三条市にダイニチ工業株式会社を創立。

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バーナーや石油風呂釜などを製造販売。

前身となる東陽技研工業株式会社の製品ブランド名「ダイニチ」を社名に。

バーナーは家庭での炊事や農水産物の乾燥、食品加工と幅広い用途がありました。

ベトナム戦争戦時下では、タイの米軍基地での炊事用に大型機や大量の注文を受けることもありました。

1966年(昭和41年) 落差式バーナー「RD-2」の製造販売を開始。

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家庭用の風呂釜で、薪の代わりの熱源として人気を博し創立期を支える製品となりました。

灯油タンクを1.5mほど高く吊り下げて気化器に灯油を送る構造で、火力はタンクの位置で調整。
タンクを高くセットすれば火力は大きく、低くセットすれば小さくなります。
日々の仕事として大変だった湯沸しが手軽になることから、ヒット商品となりました。

1967年(昭和42年) 気化式石油風呂釜「Hi-S」の製造販売を開始。

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創業者・佐々木文雄が魅了され、追求し続けた「青い炎で美しく燃える」製品の誕生。
空気の量によってグリーンからブルーに、さらに紫に微妙に変化する透明な炎は、自らが燃える意思を持っているような力強さがありました。
佐々木の感動は当時のカタログ表紙からも感じることができます。

1968年(昭和43年) 加圧式フレームガン「RA-5」の製造販売を開始。

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玄関口やガレージの凍結を溶かすもので、アメリカからの注文に応えて製造しました。
「パワーフレーム」という商品名で、アメリカだけでなくカナダにも輸出していました。

1968年(昭和43年) 殺虫剤噴霧器(ポーターフォグ)の製造販売を開始。

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「灯油」の代わりに「殺虫剤」を噴霧させる製品で、消毒、殺虫、害虫駆除用とまったく独創的な機械でした。
後に、昭和60年代、さらに用途を変えた「ポータースモーク」(発煙用機器)は、現在のラインナップに続いています。

1971年7月(昭和46年) 当社発展の礎となった開放式の石油暖房機器(業務用石油ストーブ「FM-2型」)に、「ブルーヒーター」と命名し製造販売を開始。

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青い炎から「ブルーヒーター」と命名。

当時のストーブといえば、芯を灯油に浸して燃焼させる芯式が中心でした。
市場では石油機器メーカーに加え、大手家電メーカーが参入し激しい競争を繰り広げるなか、
青く透明な炎で燃え、すすやニオイが出にくく、煙突が不要な「ブルーヒーター」は画期的な製品として大きな注目を集めました。

1977年5月(昭和52年) 業界初の全自動の石油暖房機器(業務用石油ストーブ)を開発し、製造販売を開始。
1979年10月(昭和54年) 新潟県白根市(現・新潟市南区)和泉工業団地内に、本社・工場を移転。
1980年6月(昭和55年) 着火スピードが業界最短の気化器を搭載した石油暖房機器(家庭用石油ファンヒーター「FA-32」)を開発し、製造販売を開始。

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市場にはすでに石油機器メーカー、大手家電メーカー各社が参入しており競争激化。
当時の他社製品が着火に5~7分かかるなか、「FA-32」だけが40秒で着火し、ニオイが圧倒的に少ないなど先進的な技術が評価されました。
大手メーカーに真っ向から立ち向かうこととなったこの製品は、初年度に73,000台の販売実績を上げ、家庭用石油ファンヒーターのメーカーとしての基礎を固めることになります。

この当時、放熱窓があり、温風吹出口は上のほうにあるのが一般的なスタイルでした。

1983年9月(昭和58年) 東京都品川区に東京事務所を開設(現・東京第一、東京第二、東京第三営業所)。
1984年6月(昭和59年) 福岡市博多区に九州事務所を開設(現・九州営業所)。
1986年6月(昭和61年) 大阪府吹田市に大阪営業所(現・大阪第一、大阪第二営業所)、仙台市若林区に仙台営業所(現・東北営業所)、本社内に新潟営業所をそれぞれ開設。
1987年1月(昭和62年) 東京都千代田区に賃貸オフィスビル(麹町ビル)を新築(2003年2月に売却)し、不動産賃貸業を開始。
1987年(昭和62年) 量販店専用機種「FX-221」の製造販売を開始。

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放熱窓がなく、温風吹出口を下に配置し、現在に近いスタイルになりました。
家庭用石油ファンヒーターの流通がそれまで主流だった一般家電小売店から家電量販店へと変化するなか、「青い炎」が見えなくなることを残念がる声もありましたが、コンセプトをがらりと変えたスタイルの製品を用意することが2つのルートを両立させる方法だったのです。

1987年8月(昭和62年) スモークマシンを開発し、製造販売を開始。

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石油ファンヒーターの「灯油を気化器で霧状にし燃焼する」という気化技術を応用し、スモーク液を入れると煙を発生させる製品です。
主にイベント会場やテーマパーク、消防訓練などで使われています。

1987年8月(昭和62年) 名古屋市東区に名古屋営業所を開設。
1988年8月(昭和63年) 東京都千代田区に東京営業所兼賃貸オフィスビル(神田ビル)を新築(2007年3月に売却)し、東京営業所(現・東京第一、東京第二、東京第三営業所)を移転。
1990年6月(平成2年) 新潟県白根市(現・新潟市南区)北部工業団地内に、新工場(北部工場)を建設し製造部門を全面的に移転。
1990年11月(平成2年) 株式を日本証券業協会に店頭登録。
1991年(平成3年) 園芸用暖房機「蘭」の製造販売を開始。

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蘭などの温度管理が大切な植物の栽培に使用され、石油ファンヒーターの温度制御技術を活かして温室内を一定の温度に保ちます。

1996年1月(平成8年) 新潟県白根市(現・新潟市南区)北部工業団地内に、本社を移転。
1996年5月(平成8年) 群馬県高崎市に高崎営業所、栃木県宇都宮市に宇都宮営業所、広島市安佐南区に広島営業所をそれぞれ開設。
1996年8月(平成8年) 新潟県白根市(現・新潟市南区)北部工業団地内に第二工場兼研究開発センターを建設し、和泉工業団地内より研究開発部門を移転。
1997年6月(平成9年) コーヒーメーカー(焙煎機能付きコーヒーメーカー)を開発し、製造販売を開始。

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石油ファンヒーターで培った温度制御技術、ニオイを抑える触媒技術などを応用してつくられました。
生豆を自分で焙煎し、新鮮なコーヒーを楽しむことができます。

1998年6月(平成10年) 株式を東京証券取引所市場第二部、新潟証券取引所(2000年3月1日付で東京証券取引所に吸収合併)に上場。
1999年(平成11年) 佐々木会長・吉井社長体制へ。

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創業者の佐々木が会長に就任。社長には吉井久夫が就任しました。

1999年3月(平成11年) ISO9001の認証取得。
2000年12月(平成12年) ISO14001の認証取得。
2002年(平成14年) 光合成促進機の製造販売を開始。

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光合成に必要な炭酸ガスを効率的に供給する製品で、石油ファンヒーターの燃焼技術を応用しています。
ハウス内でのイチゴ栽培などで使われます。

2002年2月(平成14年) 新潟県白根市(現・新潟市南区)和泉工業団地内に、配送センター(現・和泉物流センター)を開設。
2003年3月(平成15年) 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定。

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1990年(平成2年)に株式を日本証券業協会に店頭登録。
1998年(平成10年)に株式を東京証券取引所市場第二部、
新潟証券取引所(2000年3月1日付で東京証券取引所に吸収合併)に上場。

2003年10月(平成15年) 加湿器(ハイブリッド式加湿器)を開発し、製造販売を開始。

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室温を検知し一定の温度に保つ技術や、モーター駆動音や耳障りな周波数の音を抑える技術など、
ファンヒーターでの技術を活かして、快適さと静かさを追求しました。
市場では「静かな加湿器」として好評をいただき、売上の2本目の柱となっています。

2010年4月(平成22年) 8営業所を整理統合し、5営業所(関東、関西、東北、新潟、九州営業所)、4オフィス(高崎、宇都宮、名古屋、広島)体制に変更。
2011年4月(平成23年) 新潟県新潟市南区北部工業団地内に第三工場を取得。
2013年4月(平成25年) 岡山市北区に岡山オフィスを開設。
2013年10月(平成25年) 新潟県新潟市西蒲区打越第1工業団地内に中之口工場を取得。
2014年4月(平成26年) 宇都宮オフィスを閉鎖。
2014年4月(平成26年) 札幌市白石区に札幌オフィス、埼玉県久喜市に埼玉オフィス、茨城県水戸市に水戸オフィス、横浜市中区に横浜オフィスをそれぞれ開設。
2015年4月(平成27年) 岩手県盛岡市に盛岡オフィスを開設。
2015年9月(平成27年) 電気暖房機器(セラミックファンヒーター)を開発し、製造販売を開始。

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石油ファンヒーターの開発で培った安全設計思考を採用し、より安心して使っていただける製品を目指しました。
海外製が大半を占めるなか、当社では100%国内生産をおこなっています。

2016年(平成28年) コーポレートロゴを一新。

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ロゴについて詳しくはこちらをご覧ください。

2018年3月(平成30年) 管理本部、生産本部、開発本部を新設。
横浜オフィスを閉鎖。
2018年4月(平成30年) 営業本部を新設し、4本部体制に変更。
12営業所(東京第一、東京第二、東京第三、水戸、高崎、東北、新潟、大阪第一、大阪第二、名古屋、広島、九州)、4オフィス(埼玉、札幌、盛岡、岡山)体制に変更。
2019年3月(平成31年) 埼玉オフィスを閉鎖。
2019年5月(令和元年) 配送センター倉庫を解体・新築し、呼称を和泉物流センターに変更。

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新倉庫は旧倉庫に対して、製品の保管台数が約6割増加し、また、新たな製品搬送システムの導入により、入出庫の作業効率の向上と省人化を図り、入庫効率は約4割、出庫効率は約1割アップする見込みです。

2019年10月(令和元年) 燃料電池ユニット(貯湯タンク内蔵)の受託生産を開始。

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「燃料電池ユニット(貯湯タンク内蔵)」は京セラブランドとして東京ガス株式会社(本社:東京都港区、以下「東京ガス」)に供給し、東京ガスはパーパス株式会社(本社:静岡県富士市、以下「パーパス」)製の「熱源機」を組み合わせて2019年 10月に販売開始。
発電効率の高い固体酸化物形燃料電池(SOFC)を採用した「燃料電池ユニット(貯湯タンク内蔵)」は、定格発電出力が400Wで高い省エネ性を保持し、あわせて主要部品を小型化することで、設置が容易になりました。

【熱源機(標準タイプ)との組み合わせイメージ】
熱源機 (左)と燃料電池ユニット(右)

2021年3月(令和3年) 岡山オフィスを閉鎖。
2022年3月(令和4年) 東京第三営業所を東京第一営業所に統合。
盛岡オフィスを閉鎖。
2022年4月(令和4年) 東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東京証券取引所の市場第一部からスタンダード市場に移行。
2022年6月(令和4年) 吉井 久夫会長・吉井 唯社長体制へ。

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吉井 久夫が会長に就任。社長には吉井 唯が就任しました。
2022年10月(令和4年) 空気清浄機(ハイブリッド式空気清浄機)を開発し、製造販売を開始。

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フィルター式と、電気集じん式を組み合わせたハイブリッド式で、0.03㎛の浮遊微粒子も捕集できます。
また、汚れたら捨てるだけのカンタン取替えプレフィルターを搭載し、お手入れのラクさにもこだわりました。

  • ※:●試験機関:暮らしの科学研究所株式会社 ●試験方法:25 ㎥空間にてNaCl粒子を浮遊させ、SMPSにより粒子濃度を測定。 ●試験対象:塩化ナトリウム ●試験結果(試験番号):約19分で99%抑制。ターボ運転で実施。(LSRL-56010-F137)数値は密閉空間での効果であり、実使用空間での試験結果ではありません。