工場見学QアンドA

  • 働いている人は何人いますか?

    会社全体では約518人で働いています。みんなでがんばっています。

    働いている人の数
  • 工場の広さはどれくらいありますか?

    土地の広さは45,851m²で、建物の広さ…18,033m²です。土地の広さは、東京ドーム(46,755m²)とほぼ同じ大きさです!

    空から見たダイニチ工業
  • 機械の数はどれくらいありますか?

    大きなものから小さなものまであわせると約300台あります。

    色を塗るロボット

    ファンヒーターをつくっている人たちは、1人が1台か2台の機械を使っているんだね。

    ビスを打つ機械
  • 休日と休み時間はどれくらいありますか?

    一年間の休日は121日です。この中にはゴールデンウィークやお正月など一週間以上の長い休みもあります。基本的に土曜と日曜はお休みです。ただし冬は忙しいので、時々土曜日が出勤になる時もあります。
    一日の仕事時間は…

    8:30 出社・朝礼開始
      仕事
    10:00~10:10 休けい
      仕事
    12:00~12:50 お昼休み
      仕事
    15:00~15:10 休けい
      仕事
    17:30 仕事終了
  • 家庭用石油ファンヒーターに使われている部品の数はどれくらいですか?

    家庭用石油ファンヒーターは大きく分けて約500個 の部品からできています。

    家庭用石油ファンヒーターは約500個の部品からできている

    でも1個の部品はさらに小さな部品からできています。

    1個の部品はさらに小さな部品からできている
  • 一年間で家庭用石油ファンヒーターは何台くらいつくるのですか?

    120万台~150万台くらいつくっています。夏の間は倉庫に保管し、冬になるといっせいに全国へ出荷します。

    全国へ出荷
  • どこへ出荷するのですか?輸出もしていますか?

    家庭用石油ファンヒーターは日本全国へ出荷して、販売しています。家庭用石油ファンヒーターを売る人たちがいるところを営業所といって、現在、関東(東京)・関西(大阪)・東北(宮城)・新潟・九州(福岡) の5か所にあります。1部屋に1台ずつ使用するので、小さなタイプがよく売れています。家庭用石油ファンヒーターは日本で発明されて、日本で一番多く使われています。海外でもだんだん人気が高まっているので、ヨーロッパなどにも出荷しています。

  • 忙しい時期はいつですか?夏はどんなことをしていますか?

    工場が忙しいのは、夏から秋です。秋から販売をするために…夏にたくさん生産しなければならないのです。

    季節ごとのしごと
  • 家庭用石油ファンヒーターをつくるのに工夫してることや苦労していることは?

    1.公害問題にとり組んでいます。鉄の部分に色をぬる前にまず、よごれやほこりを洗い流します。昔の工場では「トリクロールエチレン」という薬でよごれを洗っていました。この薬はとてもきれいによごれをおとすのですが、まわりの自然や環境にあまりよくないものであることがわかりました。そこで、新しい工場をつくる時に、この薬を使うのをやめて「アルカリ洗じょう」という方法に変えることにしました。これは、みんなの家でつかっている洗たくせんざいと同じような成分で公害の可能性もないものです。

    2.働きやすいように明るい工場にしています。
    「工場」と聞くと、機械が多くてかたいイメージがありますよね。そこで、ダイニチ工業では機械がたくさんあっても工場で働く人たちが「やさしくて、やわらかい感じのする工場だなあ」と感じて仕事ができるように森のイメージで色がぬられています。 床の茶色は土の色。紫色の柱は木の幹(みき)。天じょうの緑色は葉の色。ほかの工場にくらべてずっと明るい工場なんですよ。

    3. 安全でよい品質のファンヒーターをつくるために、人も機械も工夫しながら仕事をしています。こまかい部分・大変な部分は機械化・ロボット化をして、作業をしています。

    作業している機械

    働いている人たちは失敗の製品がでないように、いつも注意したり工夫したりしています。

    見える化

    この他にもいろいろな工夫をしています。 みんなで一生けんめい仕事をしている姿を見に来てくださいね。

  • どうして「ダイニチ工業」という名前にしたのですか?

    創業者(会社をつくった人)が「会社の名前をどうしよう?」となやんでいました。するとある日、夢のなかに大日如来(だいにちにょらい)という仏様がでてきました。「世の中のためになる仕事をしなさい」とお告げがあったそうです。また、昔は戦争などがあって国民はとても元気をなくしていたので「早くみんなでがんばって、もう一度大きな日本にしたい」という思いもありました。それで「大日」から「ダイニチ工業」とすることにしました。