ダイニチの歴史(石油暖房機への本格的進出)

次の写真は歴代の主な業務用石油ストーブです。 石油コンロや各種バーナー、石油風呂釜などを生産していた当社ですが、石油暖房機器への本格的進出は昭和46年で創業から7年目になります。その理由は「暖房機はリスクが大きい」商品だったためです。

歴代の業務用石油ストーブ

暖房機は冬しか売れません。春から夏の間に生産し、寒いシーズンに一気に販売されます。コンロや風呂釜などは年間通して売れますから、コツコツと作っていけばいいのですが、暖房機の場合、例えば暖冬などで売れなかったり、あるいは不具合を出してしまえば、その年はアウトになってしまいます。企業規模の小さい当社にとって暖房機はリスクが大きい商品だったのです。そのためまずは石油風呂釜で技術を磨くことにしました。

次の写真は昭和43年(1968年)に発売された気化式石油風呂釜です。すでに気化器やバーナーには後の業務用石油ストーブと同様のものが使われており、創業者の夢でもある「青い炎で美しく燃える」製品でもありました。

気化式石油風呂釜

昭和46年、業務用石油ストーブとしてブルーヒーターFM-2型が発売されます(FM-1型は試作だけのため、販売されませんでした)。 それまでの業務用石油ストーブと言えばポット式(次はイメージ図)が主流でしたが、ブルーヒーターは青い炎で燃焼するため煙突を設置しなくても使用が可能、簡単に移動もできます。また、煙突からの熱のロスがないことで燃焼熱を効率よく暖房に使え、燃費も良くなるメリットがありました。

ポット式イメージ図

当時のカタログです。 現在の当社の石油暖房機器の愛称「ブルーヒーター」を使用したのもこの時からです。ガスのように青く燃えることからつけらたことは言うまでもありません。当時の大卒初任給は4~5万円程度、現在それが20万円前後になっていることを考えると、定価43,000円のFM-2型はなかなかの高額商品だったことになります。

FM-2型カタログ

当時のお客様の生の声はこのようなものでした。

  • 誰もが「これはガスストーブか」と驚くんだ。俺も店が持ってきたときびっくりした。えらいことをやるもんだ。(湯沢スキー場近くのソバ屋さん)」
  • カタログに値段を入れないでくれ。 高く売っているのがバレてしまう。(九州の販売店様)
  • 仲間の販売店から「ブルーヒーターを売りたい。」と相談されたが、「あんな手のかかるものはやめておけ。売れば売るだけアフターサービスでやめられなくなる。」と言った。ライバルは少ない方が良いからね。(岩手の石油販売店様)

もちろん、技術的にはまだ未熟な面も多く、販売店様にはメンテナンスの技術をしっかりと覚えていただきました。販売の苦労もあったかと思いますが、ブルーヒーターはそれまで世の中になかった画期的な商品であることは間違いなく、市場に注目され販売台数を伸ばしていきました。

業務用石油ストーブFMシリーズ

ブルーヒーターは毎年改良を加えられました。現在の家庭用石油ファンヒーターも同様ですが、青い炎で燃焼する石油暖房機器を作るには、技術的に解決しなければならない問題がいくつかあります。「気化器」においては、石油が安定して気化する温度の幅は狭く、そのためには正確な温度センサーが必要になります。最初の頃の温度センサーであるバイメタルでは目的の性能がかなえられないため、電子部品メーカーとの共同開発により、「サーミスタ」の実用化に成功しました。気化器のヒーターも、それまでの「ニクロム線ヒーター」から、温度上昇が早く耐久性にも優れた「セラミックヒーター」に進化しました。灯油をタンクから気化器に送るポンプも、最初は小型で精密なものはなく、ポンプメーカーが何年もかけて実用に耐える部品を開発してくれて、その性能や信頼性は毎年向上しました。

これらの技術は、その後ライバルメーカーも採用するに至っています。当社の主力商品が業務用石油ストーブだった時代は昭和46年から53年までです。この間の年間売り上げは次のグラフのように推移します。また従業員も61名から133名へと倍増しました。

業務用石油ストーブの成長

現在の業務用石油ストーブです。 デザインもずいぶんあか抜け、性能・機能・使い勝手も格段に向上しておりますが、基本的なスタイルは初代と変わりません。これからも様々な場所で愛され続けていくことでしょう。

現在の業務用石油ストーブ